今日、ツイッターのトレンドを何気なく見てたら「緩和ケア医」の文字が目につきました。
なんだろう?と思って押してみると、関本剛さんの記事でした。
動画も見て、色々と考えさせられました。
こんな完璧なお別れの言葉があるだろうか。
確かに、お葬式などでは喪主である親族が挨拶をする。
でも、本人が感謝とお別れを告げるのが、本当は理想的なのもかもしれない。
突然亡くなったり、冷静に死を受け入れてメッセージを残せる余裕がない人が多いだろうけど…
動画の最後に「また会いましょうね」と手を振る姿が印象的でした。
私もあの世はあると思っていて、また向こうで故人に会えるんではないか…と考えたりしてます。
あっ、ちなみに無宗教です。
一応、家は浄土真宗だけど、私はとくに何も信仰してません。
そんなのは関係なく、何となく、死んだら終わりではない…みたいな感じがしてます。
…というか、向こうで会いたい人がいるから、そうじゃないと困る(笑)
母が亡くなった時、最後に母にかけたは言葉は「またね!また会おうね」でした。
号泣しながら、無我夢中に叫んでました。
最後まで聴覚は残っていると聞いてたので、私はずっと「ありがとう」「ごめんね」「また会おうね」を繰り返して言い続けました。
また必ず向こうで会えると信じていて、それだけが頑張るモチベーションにもなってます。
なので、関本先生の動画を見て
『また会いましょうね』
と、笑顔で手を振る姿に、とても救われるものがあったのです。
以前、簡単なエンディングノートと、家族に宛てた手紙を書いたことがありました。
たいした内容でないけど、突然なにかあった時に、家族が困らないようにと。
銀行のカードはコレで、保険はコレで…とか。
亡くなった時は、この人達にだけ連絡してねーとか。
引っ越し時に一旦捨ててしまったけど、またちゃんと残しておく方がイイのかもしれないな。
戒名なんかいらないし(なんで名前であんなにお金を取るんだか…)、葬儀もめちゃくちゃ高いし、本当にいらない。
通夜も葬式もいらない。
たまーに思い出してくれたら、それだけでいい。
でも、残された方はお金がかかっても、アレコレやらないといけないと思っちゃうんだよね。
それが故人に対する愛情で、最後に出来る全てだと思ってしまう。
だから、家族が気を遣ったり困らないように、一言「ホントに戒名とかいらないから!」と残しておきたい。
あと、やっぱり「ありがとう」は伝えたいな。
でも実際にそういう時になると、どちらも言えなくなる。
それがお別れの言葉みたいになってしまいそうで、お互いに言えなくなるのだ。
だから、手紙や動画に残すのは良いのかもしれない。
面と向かって言ったら「縁起でもない!」と聞いてくれないだろうし、こっちも直接だと伝えたい事が全て言えないかもしれないし。
最期はそんなことすら出来なくなるから、関本先生みたいに元気なうちに残すのが良いのだと思う。
痩せた姿とかだと、見る方も辛くなってしまうもんね。
あと、人は意外と声を忘れてしまう。
実際には忘れないにしても、声の記憶って薄れやすい。
それは、身を持って知りました。
だから、大事な人は、写真だけではなく動画も残しておくとイイ。
昔はビデオカメラが必要だったけど、今はスマホで撮れる時代だもんね。
痩せてしまってからの写真や動画は辛くて見れなくなると思うので、できれば元気な時にたくさん撮った方がイイです。
旅立ちの時が近くなると、撮るのも撮られるのも、それは意味が別になってきて、それすら出来なくなるので。
大事な人が健在なら、何気ない日常を動画におさめておくのが、後々の宝になると思う。
私も、もっと撮っておくんだったな。
写真はたくさんあるけど、やっぱり動画が一番イイ。
この年齢になると、生死を考えることも増えてきます。
ネガティブな感情ではなく、当たり前に訪れる「時」が近づいてきたな〜と。
「まあまあ…良い人生だったかな」
と、穏やかに思えるよう、残りの人生も自分なりにボチボチ頑張ろう。
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