全国的に大雨で、荒れ模様ですね。
食料を買い込んで、毎週のことながら引きこもってます。
昨日ツイッターで、もうすぐ向田邦子さんが亡くなって40年…という記事を目にしました。
昔、何かで読んで感動した詩が、確か向田邦子さんだったような…と、気になり検索。
結局その詩は見つけられず…。
別の人の作品だったのかな?
記憶力が悪すぎる自分が嫌になる(笑)
でも、検索したことで、向田邦子さんのステキな文章が目に留まりました。
『手袋をさがす』
皆さんご存知かもしれないのですが、私はお恥ずかしながら初めて知りました。
ネット上からの抜粋ですが、今の自分にはどれも心に深く響きました。
『四十半ばになったいま、自分を振り返ってみる。プラス面は、形の上だけでいえば、女として自活をしているということ。
そして、世間相場からいえば、いまだ定まる夫も子供もなく、死ぬときは一人ということ。これを幸福とみるか、不幸とみるかは人さまざまでしょう。』
『たったひとつ私の財産といえるのは、いまだに「手袋をさがしている」ということなのです。どんな手袋がほしいのか。それは私にも判りません。
なにしろ、私ときたら、いまだに、これ一冊あれば無人島にいってもあきない、といえる本にもめぐりあわず、これさえあればほかのレコードはいらないという音も知らずー
それは生涯の伴侶たる男性にもあてはまるのです。』
『多分私は一生ないものねだりをしているのでしょう。でも、そんな生き方を少し誇りに思ってもいるのです。』
今の1人の気楽な生活と、1人である将来的な不安と、気持ちが入り混じる日々。
誰かと暮らすなんてストレスが溜まるし結婚なんかしなくてイイと思う日もあれば、看取ってくれる人もいないのか…と将来が不安になる時もある。
その時の気分で変わるので、一体自分がどうしたいのかも分からない。
婚活してる知人を見てると、「やっぱり一生1人は辛いのだろうか…」と出会いを探すべきなのか考えたりもするけど、以前の婚活を思い出すと、もうあんな面倒なことはしたくない気持ちも大きい。
そもそも『好きになれるかどうか。イヤじゃなければOK』みたいな判断自体がおかしい気がする。
子供が欲しい、どうしても結婚したいならそれで良いだろうけど、私は年齢的にもそれらを望んではいない。
…とはいえ、老いていっても1人で、看取ってくれる人もいない寂しさを思うと、少し悲しく、不安を感じたりもしていた。
まあ、相手がいても先立たれたら1人になっちゃうんだけど…
でも、向田邦子さんの文章を目にして、自分に合う手袋がなければ無いで、堂々と歩いていけばイイか…と、なんか「ヨシ」とされた気がして、とても気持ちが楽になったのです。
人間なんで、また不安になる時もあるだろうけと、手袋が見つからないなら見つからないでイイか…と思えるようになりました。
『気に入らない手袋をするくらいなら、寒くても手袋なしで颯爽と歩く』
向田邦子さん、なんてカッコイイ女性なんだろう。
不安になった時に読み返せるように、エッセイを購入。
久々に本を買いました。
置き場所にも困るから、あまり買わないようにしてたのですが、何度も読み返したいのはつい買ってしまう。
コロナになる前は図書館をよく利用してたのですが、衛生面から借りれなくなってしまったので、ずっと読書しない生活が続いてました。
今は電子書籍の方がいいのかもしれないけど、昭和の人間だからか、本はやっぱり紙でペラペラめくれないと…と思ってしまう(笑)
手袋か〜。
必死に探してる時には意外と見つからなくて、ふとした時に見つかるのかもね。
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