今日、スーパーで買い物してたら、お母さんと小さい女の子を見かけました。
お菓子を選んでたんだけど、お母さんの話し方がとても優しくて…
帰り道にドボドボ歩いてたら、子供の頃にお母さんと買い物に行って時のことを、ふと思い出しました。
田舎だったのでスーパーは少なかったけど、家のすぐ近くにあったので、しょっちゅう母親の買い物について行ってました。
母がレジに並んで、レジを打ち始めた頃を見計らってカゴにお菓子を入れて
「こら!!こんなん勝手に入れて!」
と怒られる声を聞きつつ、遠くに逃げる…ということを、よくやってました(笑)
そのタイミングで入れたら返せないし、そうすればお菓子を買えると悪知恵をつけて。
ふと、そんな保育園や小学生の頃を思い出して、胸がギュッとなり、泣きそうになりました。
秋になるとダメだねぇ…
なんか色々と切なくなる。
母親の愛情って、一番大きな存在かも…
人物形成に一番大きく関係するんではないかと思う。
よく事件とかのニュースを見て、容疑者の生い立ちとかを見聞きすると、大体は母親に何かしら問題がある。
健全な愛情を受けずに育っていることが多い。
『健全』の正解は分からないけど、足りなくてもダメだし、過剰でもダメだったりする。
私はどちらかと言うと、干渉されない方のタイプでした。
姉は何でも出来る優等生で、姉との対応の違いで悲しい思いをしたこともある。
親も人間だから不機嫌な時もあるし、大人になった今なら分かるけど、子供の時はちょっとしたことで傷つくんだよね。
小学生の時に、本気で「自分はよその子なんじゃ…」と悩み、寝る時に泣いたりしたことも(笑)
子供時代は、特に母親の愛情に敏感になるんだと思う。
とても優しくて素晴らしい母親だったので、たくさんの愛情をもらって本当に感謝している。
父親はめちゃくちゃだけど、母親に恵まれただけで幸せ者だと思っている。
街を歩いていても、優しそうなお母さんもいれば、子供が気の毒に思えるお母さんも見かける。
「毒親」や「親ガチャ」って言うけど、本当に親によって人生が変わると言っても過言ではないと思う。
唯一、無償の愛を受けれる相手で、一番愛してほしい存在が母親だろう。
たぶん、人間だけでなく、動物的な本能としてそうなんだと思う。
だから、その相手から健全な愛情を受けられないと、必ずどこかに歪みが起きる。
昔、小児科で働いていた時に、看護師さんが言ってました。
注射とかで子供が泣くと、必ず「ママーー!」と泣くらしい。
パパやお婆ちゃんが連れてきてても、必ず呼ぶのはママなんだとか。
特攻隊の方の話を何かで読んだ時も「お母さーん!」と最期に叫ぶと目にしたことがある。
父親ではないんだよね、やっぱり。
そう考えると、父親も寂しいもんなんだろうな…とも思う。
毒親で苦しんだ同僚も何人かいて、そんな人達の話も聞いたことがあります。
干渉され過ぎたり、母親である前に女を優先したりだとか…
とても生きづらそうで、下手なことも言えず、聞いてて相槌しか打てなかった。
母親の存在や、言葉って、影響力がありすぎるよね。
…って、取り留めのないことを、また長々と書いてしまった(笑)
私は子供を産むことはなく、この人生を終えるけど、もし母親になってたらちゃんと子育てできたんだろうか??
1人の人格に影響を与えるって考えると、責任重大だな…
犬を飼いたくても、色々考えると安易に飼えない…と思うから、私は独り身で良かったのかもしれない。
お母さんになってみたかったのもあるけど、自信がないからこれで良かったのかも。
観葉植物ですら枯らす人間だしな…
さっ!
このオチもない話はそろそろ終わるか。
明日は花金ーー!!
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