日常 PR

切ない

昨日、スーパーに買い物に行きました。

場所柄なのかお年寄りのお客さんが多いスーパーです。

 

レジで並んでいると、お爺さんが何かを叫びながらドアの方に向かって歩いてました。

ちょっと変わった人なのかな?くらいで気にも留めなかったのですが、何度も叫んでいたので私も店員さんも気になり見てみました。

 

叫んでいたのは奥さんの名前で、お爺さんがレジをしてる途中で、奥さんがお店の外に向かって歩き出したようでした。

お爺さんがお婆さんの手をひいて戻ってきて「まだ外に行ったらいかん」と、レジまで戻ってきました。

でも、目を離した隙に何度も外に出ようとするようで、その度に奥さんの名前を呼んで止めてました。

 

その間に私はレジも終わり、スーパーを後にしたのですが、その光景が頭から離れなくて…

お婆さんの名前を呼ぶお爺さんのかすれた声と、何も分からずボーッと立っているお婆さんの光景。

 

夜風に当たりながらさっきの光景を思い出してたら、切なくて、やるせなくて、涙が出てきました。

どうにか涙は落ちないように死守しましたが、目がウルウルで完全に変な人になってました。

 

老老介護…

長生きって何だろう…

 

むしろボケてしまった人の方が幸せなのかもしれない…

自分の身体も大変なのに、変わり果ててしまった伴侶のお世話をしないといけない方は、心身共にどれだけ辛いか…

 

長生きする方が良いとされてるし、実際に何かあったら「生きたい」と強く願うと思う。

でも、ボケてまで長生きするのは、自分にとっても、周りにとっても幸せなんだろうか。

 

この間、夜道を散歩している時、同じように老夫婦を見ました。

お爺さんが手押し車をおして小股で歩いてて、その横を90度くらいに腰が曲がったお婆さんが歩いてました。

たぶんお爺さんが病気をされて、リハビリがてらに手押し車をおして歩いてるんだと思います。

 

その横を通り過ぎる時に、お婆さんが聞き取れないくらいの声で何かを喋り、それに対してお爺さんが返答してるのが聞こえました。

しんとした夜道で、すぐ近くを通りすぎた私にも聞こえないような、まさに蚊の鳴くような声。

それでも、耳も遠くなってるであろう年齢のお爺さんには、ちゃんとお婆さんの声が聞こえて会話している。

長年一緒にいる夫婦だから聞こえるのだようか。

 

この時も、何ともいえず切ない気持ちになり、また夜道で涙をこらえました。

年齢のせいか、すぐに涙が出てくる(笑)

 

長生きって何だろうな…

毎回こんな光景を目にするたびに考えます。

 

ふと、星野源さんが書いてた言葉を思い出しました。

『生きるということ自体が、苦痛と苦悩にまみれたけもの道を、強制的に歩く行為なのだ。だから死は、一生懸命に生きた人に与えられるご褒美なんじゃないか』

 

死はご褒美。

大事な人を亡くしてるので、なかなかそうは思えない自分もいるけど、そうなのかもしれないな…とは思う。

 

大切な人には長生きしてほしいし、本人もそれを望んでるなら、早くこの世を去るのは誰にとっても不幸せに思える。

実際に当人も私も、言葉にできないほど辛かった。

 

でも、確かにこの世は試練が多くて、生きてると良いこともあるけど辛いことも多い。

私は何となくあちらの世界があると思っているのだけど、あっちは平穏で幸せな所なんだろうな…と思ったりする。

『良い人ほど早く亡くなる』っていうのは、辛いゲームを早くクリアさせてくれるご褒美なんだろうか。

 

…とはいえ、長生きしたいと思ってる人にとっては、それは不幸せに感じるよね。

歳をとったせいか、こんな事ばかり考えてます(笑)

 

生かされてる間は、目の前のことをこなして頑張るしかないね。

今日も良い日でありますように。

 

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